
平成23年8月8日(月)〜9日(火)
3月11日発生の東日本大震災で甚大な被害を受けられた、宮城県 名取市の現地へ視察に行ってきました。
今回の災害は予想をはるかに超える規模だったため、視察には行ってみたいものの、現地の皆さんのじゃまにならない時期で、ある程度の説明を頂ける機会がないものかと思っておりましたが、名取市役所さんのご了解をいただくことができ、9日(火)の午前中の約2時間の現地視察となりました。
実は、この視察を受け入れていただいた理由には、災害発生後に射水市の倉谷アルミ工作所(有)さんが市を通して鍋6,000個を被災地に届けられ、名取市の仮設住宅での生活において、被災者の皆さんに大変感謝されていることも大いに影響して、この時期ならばと云うことで御了承をいただいた次第です。
当日は大変お忙しい中、総務部防災安全課 防災係の佐藤主幹、健康福祉部保険年金課 医療年金係の加藤主幹のお二人に説明をいただきました。
名取市では閖上(ゆりあげ)地区など海岸に面した地域での被害が大きく、市面積(約98平方km)の約28%に当たる27平方kmにおいて浸水が確認されているそうです。
現在においても82名の方が行方不明であり、遺体収容数911体(内、遺族への引き渡し862体)の方が被災され亡くなられてております。
住宅の被害も全壊が2,786棟、大規模半壊214棟、半壊708棟、一部破損8,060棟との報告でありますが、その大多数は津波による被害であり、地震そのものによる被害については、規模が震度6強ではあったものの被害家屋数についてはさほどではないのではないか(そのような調査が進んでいないので、確実ではないものの)、と云うことでした。
宮城県沖での地震の発生確率は以前から高かったものの、名取市では過去に津波による被害がなく(海岸部に広い砂浜地帯があったため)、県の被害想定でも宮城県沖を震源とする地震による津波に関しては2.6mとの予想であり、今回の津波は9m〜10mと思われることから、全くの想定外の規模だったと言わざるを得ない状況だそうです。
また地震の揺れにより沿岸部における防災無線が損傷し、津波による危険性を市民の皆さんに伝達する手段が限られたことも「津波は来ないだろう」と思っていた人たち(市民の多く)にとって、避難が遅れた要因の一つとも言えるかもしれない・・・?との事でした。
現地視察をしたときに、私の想像よりガレキ撤去が進んでいたことにつきましては、国や県からの指示系統での遅れがあり過ぎ、この調子では先行きが心配されることから、市長さんの判断で他の被災地よりいち早く決断・実行されているそうです。
季節的にも大変暑い時期ですが、汗だくになりながら作業されている関係者の皆さん、往き交うダンプ、多くの重機作業をみて、この地域をどのようなかたち(本当に安全・安心な地域となりえるのか)で復旧できるのか?
また復旧されたにせよ、これまで住んでおられた住民の方たちが本当に帰ってこられるのか?等など
まだまだ解決すべき事柄が多い状況の中で、一日も早い復興を願わずには居られませんでした。