
平成27年10月31日(土)
各支部の三役+女性部・青年部局長さん達が一堂に集まる「自由民主党 支部長・幹事長・事務局長会議」が、ANAクラウンプラザホテルに於いて開催されました。
この日の協議事項は1、党勢拡大運動について 2、参議院選挙PTの取り組みについて 3、結党60周年記念について 4、自民党県連60年史についてなどであり、私自身も来年度の定期大会および政経文化セミナーの関しての意見を述べさせていただきましたが、最も関心があったのは「60年史」についてでした。
と言うのも、今年度の大門連合支部定期大会(6月)における中締めの時に、前支部長の小竹保氏が「大門連合支部(前の大門町支部)」の設立の経過について述べられた事が記憶にあったからで、今回の県連60年史の資料として「支部の設立の経緯」と言う調査項目と合致していたからです。
以下、小竹前支部長さんから聞き取りをさせていただき、年代に関してインターネットで調べまとめた「自由民主党 大門連合支部 設立の経緯」について記載します。
自由民主党 大門連合支部(旧大門町支部)設立の経緯について
自由民主党大門町支部(今の自由民主党大門連合支部)は昭和46年10月に設立をされ、初代の支部長は青木外吉氏であった。
設立至った経緯として、前々年(昭和44年12月)の富山県知事選挙(衆議院選挙と同日選挙であった)において、当時の県知事であった吉田実氏が衆議院選挙に立候補することを受け、その後継者として知事選に立候補された小林謙氏(当時の前副知事)と、自民党公認候補として同じく立候補された中田幸吉氏(当時の前農林水産部長)ら4名による選挙戦が展開され、中田氏が当選された事に関係があったと聞く。
当時の選挙戦と言えば現在のような政党としての組織選挙ではなく、人的地縁関係やもしくは地区的色合いが強いものだったと伝え聞くが、この選挙に関しても「大門町」は吉田前知事の地元「大島町」に隣接をしている事などから、住民の多くが小林候補を応援していたと考えられた。
しかしながら選挙に於いて中田氏が富山県知事として当選された結果を受け、大門町ばかりではなく県内に於いて「中田後援会」が設立されていなかった各地区における後援会の設立が促された。
この衆議院選挙は12月に初めて行われたことから「師走選挙」とも呼ばれたが、年が明けた翌45年さらには富山県議会議員選挙が実施された昭和46年にかけて「中田後援会」設立について話題となる事が多く、選挙結果の状況などを踏まえ協議された結果「中田氏後援会を設立するのならば、同時に自民党支部も設立すべきではないか」との意見を受け、「中田幸吉大門町後援会」と「自由民主党大門町支部」が同時に設立されることになった。
設立時においては「中田幸吉大門町後援会」と「自由民主党大門町支部」の役員は兼任することとなり、初代支部長兼後援会長には青木外吉氏。
事務局長には、この年(昭和46年4月)の県議会選挙に於いて初当選された炭谷外治郎後援会事務局長の松本春一氏(当時大門町議)の二人態勢での活動が始まった。
以降、初代支部長であった青木外吉が昭和57年9月亡くなられ、
2代目支部長 吉田 久夫氏(昭和57年10月〜昭和62年度)
3代目支部長 野谷 庄八氏(昭和63年度〜平成7年度)
4代目支部長 福井美樹夫氏(平成8年度〜平成9年度)
5代目支部長 池原由義次氏(平成10年度〜平成13年度)
6代目支部長 小竹 保氏(平成14年度〜平成23年度)
7代目支部長 高橋 久和(平成24年度〜現在に至る)
以上、「自由民主党大門連合支部(旧大門町支部)設立の経緯について」の報告とするが、今回の調査対象となった「設立に至る経過」をまとめるにあたり、前支部長 小竹保氏から多くの貴重な情報を頂く事ができた。
この場をお借りして感謝申し上げると同時に、県連60年史への寄稿だけではなく「大門連合支部の歴史」として保存・伝承していかなければいけない事であるとあらためて感じた。