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□令和2年6月定例会 予算特別委員会における質問
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2016-11-08 15:47:59
平成28年4月 会派視察 鳥取県 境港市を訪ねて
平成28年4月20日(水)

視察先:鳥取県境港市
 議会事務局  川端 局長  係長 吉田 光寿 氏
       水産課    松本 課長  池渕 氏
鳥取県 水産試験場 宮部 氏   大田 氏

境港管理組合 港湾管理委員会 事務局長 細羽 忠志 氏
               総務課課長補佐 丹田 昭浩 氏

調査研究テーマ:「漁港における漁獲量などについて」

射水市(富山湾)での漁法と言えば「定置網漁」と答える人が多いと思うが、堺港での漁法はマアジやマサバ、マイワシやブリ類のまき網漁が主であるとの事。
この他、ハタハタやアカガレイ、マダラ等は沖合底曳き網漁で行われており、定置網漁の割合が本県に比べ低いのが現状。
但し、小型定置網は2012年までは2経営体であったが14年からは4経営体と倍増になっているとの事であった。(資源保護の観点からなのであろうか?)


本市の新湊漁港では今期深刻な不漁に悩まされた。
堺港における今期(2015年)の漁獲量には大きな変化はなかったが、平年に比べ11月に多く漁獲されたのが特徴であったとの事である。

これは島根沖冷水が離岸傾向にあり、沿岸水温が高めに推移したことによるものと推測され、特にブリ漁に関しては能登半島沖合域を通りすぎてしまった結果としての影響があったものと考えられている。

また、堺港でも「ホタルイカ」の水揚げはあるが、加工場設備が無く、主として北陸(業者対応なので、富山県なのかは不明)方面への出荷になるとの事であった。


調査研究テーマ:「クルーズ船の状況について」
 
堺港は古くから韓国との航路があり、現在も韓国航路(境港〜釜山)が週4便、韓国・ロシア航路(境港〜東海〜ウラジオストック)が週1便、中国航路(境港〜上海)が週1便あり、物流および人流が盛んな港である。
 
加えて近年、大型クルーズ客船の寄港が急増しており、実績ベースで2010年に年間10回だった寄港回数が、2015年には寄港23回、乗客数19,429人にも達し、2025年での寄港回数目標を年間58回とされている。(うらやましい限りである)

クルーズ客船の寄港が急増した訳は?と言う質問に、やはり船会社や旅行社に対する誘致活動が功を奏しているとの事(担当者は市長ではないとの事)であったが、乗船されている客層に由っての対応が必要だとか?

具体的には、中国系の方は買い物系。
欧米系の方は日本型の観光地(松江城や出雲大社、あだち美術館など)が主流であり、半日以上の行程場所は不人気との事であった。

 本市においても、トップセールスによる誘致活動がされているはずではあるが、近年のクルーズ船の大型化に対応できる岸壁の整備などができなければ、受け入れ客船の大きさによる万葉埠頭との差別化を図るべき(もちろん港湾管理者である県との協議を経てではあるが)ではないか?と強く感じた次第です。
2016-08-30 08:57:05
要請・陳情活動の内容:「リオデジャネイロオリンピックにおけるジカ熱への対応策について」
平成28年4月11日(月)

文部科学省 堂故政務官室
堂故 茂 文部科学大臣政務官
              政務官秘書官  菅谷 匠 氏

要請・陳情活動の内容:「リオデジャネイロオリンピックにおけるジカ熱への対応策について」

本市出身の田知本遥選手が、この夏開催のオリンピック柔道競技・女子70kg級への出場が決まり、射水市にとっても大変喜ばしい事であると感じると共に大きな期待を持っている。

と言うのも、田知本選手におかれては4年前のロンドンオリンピックにおいて入賞はしたものの、あの時の「悔しさ」を胸に、日々の練習は元よりオリンピック出場が決まった試合までの一戦一戦に「目の前にある、今やるべき事に全力を尽くされた成果」が、今回の結果(2度目の出場)をもたらしたのではないかと私なりに思うからである。


 ところで、オリンピックが開催されるブラジルでは熱帯シマ蚊による「ジカ熱」が流行しているニュースを聞くにつけ、こうしたオリンピック競技に参加される選手の皆さんへの影響が気になるところである。

 私なりには、こうした心配要素を出来るだけ少なくし、日々の練習の成果を存分に発揮できる環境で競技(試合)に臨んで頂きたいと考え、以前、世界的(特にアフリカ)に話題となった「デング熱」(東京でも流行した事がある)を媒介するとされたヒトスジシマ蚊の忌避効果試験を実証されており、射水市内に本社のある(株)エヌエスブレーンさんに相談をしたところ、既に熱帯シマ蚊の忌避効果試験を実施され、予想以上の効果が検証された事から「ジカ熱」への対応と言う事でJOCやブラジル大使館への報告(訪問や郵送による)はしてあるが、その結果としての返答はまだ届いていないとの事であった。

 堂故政務官に(別件の会合の席で、こうした内容の)話の一部を伝えたところ、高岡市出身のレスリング競技に出場される登坂選手の事もあり、(政務官としての)担当は違うが詳細を知りたいと言う事で、政務官室を訪問し試験成績結果資料などについて説明をし、射水市、富山県、強いて言うなら国を代表する選手の皆さんの不安材料を少しでも軽減する事が出来ないか?要請をしたものである。
2015-11-24 22:12:36
今回の欧州都市行政調査団(海外視察)に参加しての雑感

『やっぱり、日本が最高だ!』と感じた瞬間でした。


先ず、ロンドンまでは「遠かった」が一番。
これまでにも約8時間程のフライトが最長でしたが、今回は約12時間。
でも、最近の飛行機座席(もちろんエコノミーの話ですよ)は以前に比べ、ちょっと(7〜8cmくらいかな)広くなったような気がしているのと、個人モニターで好きなジャンルの画像や音楽などが聞けるので、退屈することが少なくなっていると感じましたが「でも、やっぱり12時間は長かった〜!」

行きも帰りも、1回ずつ「トイレタイム」に合せて軽くストレッチをして、体をほぐしました。
こういう時は、通路側の席が良いですよね〜。(私は行きも返りも、真ん中の座席でしたが)
一回一回「すみません」って言って「立ちって」、言って「座って」では、本当に申し訳なく感じざるを得ないですね。特に窓側の場合は二人にお願いしなくてはいけませんから、大変です「特に僕ら(私です)のような中年には!」



次に、CLAIR(クレア)ロンドン事務所において、嶋 所長さんから「英国並びにスウェーデン・オランダの地方自治制度について」レクチャーを受けましたが、それぞれ日本の制度とは全く違い、その国における行政機構(例えば国、県、市町村といった行政単位の立ち位置と役割、そして、それに関する財源内訳など)の特徴を、訪問前にもう少ししっかりと予習すべきではなかったのかと感じております。

そうしないと、我々がお聞きする質問の主旨が相手側に伝わらない場合が多くなってしまうのではないか?・・・と、思ったからです。


でも、ヨーロッパの街並みは「いいですよね〜!」 私も学生時代から「建築」を専攻していた関係もあり、今回の自由時間(余りなかったですけど)に『ふらふら』とあちこちを見て回りましたが、ロンドン、ストックホルム、アムステルダム、それぞれの街をもう少し自由に歩ける時間があれば(行政視察だからしょうがないという事で、今度は是非「私的な観光」で)良かったのに・・・って、感じです。

日本に比べ、ごく普通の街並みの中に古い建物が数多く残っているのは、ひとつにはヨーロッパと日本の地殻構造の違いが関係していると思います。

皆さんご存知の通り、日本は中国から日本海までを含むユーラシアプレートの東端に、太平洋プレートとフィリッピン海プレートが潜り込む最前線上に位置することなどから、地震の発生回数や規模も大きいとされますが、今回の視察先であるイギリス、スウェーデン、オランダを含むヨーロッパ全土は、今述べました中国から続く大陸プレートの西側に位置し、端部ではない国が多い事等から、地震自体の発生も少なく、今回の訪問先である3カ国あたりでは、もし「地震」があっても最大震度は「3」程度であろうと考えられております。(私自身、建築の中でも構造を専攻しておりましたので、こういう分野は・・・。)

そうしたことから、昔からのレンガや石を多く使った建物が数多く残り、現代的構造の建物と混在した「日本では考えにくい街並み」が多く見受けられるのだと思います。

それともう一つは、日本では「新しい建物(住宅を含めて)」(俗に言う新築)を好む傾向がありますが、ヨーロッパでは「古い建物(住宅を含めて)」に対する価値観が高く、そういった建物を「持ちたい」、に「住みたい」と考える方が多いそうです。

また、特に私がスカンセンで感じた「子どもたちに昔の生活(様式)やこの国の自然(豊かな事や厳しい事)」を肌で感じさせる(親が子へ伝える)様な「想い」を大切にしているのではないか。・・・と、思います。

強いて挙げるなら、こうした理由などから特にヨーロッパで、は古い建物が数多く残っている街並みがごく普通に見受けられるのだと感じております。

回の視察先では、公式訪問したオランダ・ハウテン市は「自転車を中心にした街づくり」で有名な都市だったのですが、ロンドン、ストックホルム、アムステルダムなどにおいても『自転車』に乗った人たちを、本当に数多く見受けました。

また、ストックホルムやアムステルダムではほとんどの道路に「自転車道」があり、交通手段としてばかりでなく、市民の皆さんの生活の一部(健康面での関係もあるのかも?)としての重要性を再認識した次第です。

こういった事も、古い建物と一緒ですがヨーロッパらしい風景だと感じております。



また、ストックホルムではこちらより緯度が高い事もあり、木々の葉も落ち始めているものが見受けられるような、ちょっと肌寒さを感じる季節だったのですが、ちょっとした小雨の中でも走っておられる方の姿をあちこちで見受けました。

健康面の事は元より、緯度が高く日照時間の時間差が大きい(夏は、沈まぬ太陽「ミッドナイト・サン」 冬は、昇らぬ太陽「ポーラー・ナイト」)スウェーデンでは、太陽の日差しがある夏場での「日光浴や海水浴」を大切(楽しみに)にする風習があるらしいのですが、厳しい冬が訪れる前の体力作りとストレス解消法として「走っている人」が多いのか?・・・と、感じた次第です。

ストックホルムでの余談となりますが、スウェーデンの方の平均身長は、男性が182cm、女性が169cmだそうです。
ただし、男性の体重が以前に比べ約10kgほど減ったのだそうです。

・・・と云う事も関係しているのか、
スカンセン野外博物館での出来事ですが、場内を回る前に「トイレへ」となりまして入りましたら、男性用の小便器の高さが高いので「皆さんびっくり」。
子ども用の高さが日本で云う大人用の高さくらいでした。

また、ホテルの浴槽も大きく(日本では基本最大容量400Lでして、大きくなれば、浅くなります)、私が横になっても十分の長さがあった(まだ余裕があった)くらいでして、ここでも体格の違いを実感した次第です。



海外では日本と違い「スリや置き引きに注意して下さい」と、よく言われておりますが、私も大英博物館でショルダーバッグのチャックが半分開けられました(この中には貴重品類は一切入れておりませんが)が、被害はありませんでした。
というより、展示室を回っている時「胡散臭い」二人連れが後ろに回ってくるのを感じ取っておりまして、それと(ごそごそと)感じた時にくるりと後ろを向いて「For something!(何か用?)」と言ってやったので、すぐさま向こうへ退散していきましたが、私がよほど「間抜け面」に見えたのでしょうか?

でも、今回の訪問団の一部の方も「防ぎようのない盗難被害」に合われた事があったことから、あらためて日本との『治安の違い』を感じた事も事実です。



今回の視察先で予定外に「嬉しかった事」と言えば、

ストックホルムで『ノーベル博物館やノーベル賞授賞式の晩さん会が開かれる「青の間」や舞踏会が開かれる「黄金の間」がある市庁舎』を「タイミングよく」訪問することが出来た事だったと思います。

この「タイミング」というのは、ちょうど今度の視察に向かう前の7日に、スウェーデン王立科学アカデミーが『2014年のノーベル物理学賞に関して名城大(名古屋 市)の赤崎勇終身教授(85)、名古屋大の天野浩教授(54)、米カリフォルニア大サンタ バーバラ校の中村修二教授(60)=米国籍=の3氏に贈る』と発表 されたからです。

実は、私は赤崎先生がおられる「名城大学」の卒業生でして、今回の授賞発表を聞いて、いつものように「日本人の方が受賞」・・・と、して喜ぶだけでなく『名城大学の赤崎先生』が受賞者の一人と聞いて、「これまでにない喜びと感動」を受けた、まさしくこの「タイミング」だったのです。

ノーベル博物館では既にこのお三方の紹介パネルも展示してあり、ここでしか買えない「ノーベル賞メダルのチョコ」の購入とともに、パネル前での記念撮影をして来ました。



無事、羽田空港に着き、国際線ターミナルから国内線ターミナルに移動し、富山へ向かう待合時間に(富山での到着時間が7時を回ることから)「軽く軽食でも」という事で、隣り合わせの出発ロビーとなった久留米市の市川・後藤の両市議会議員さんと菊議員さんとの4人で食べた「蕎麦とビール」の美味しかった事。

俺には『やっぱり、日本が最高だ!』と感じた瞬間でした。



結びに、帰りのフライト中はあまり眠る事が出来なかったのですが、無事怪我もなく帰って来れた事を喜ぶ【この件に関しましたは、今回の視察に同行頂いた「全国市議会議長会」の篠田さん、「近畿日本ツーリスト」の久保田さん、新宅さんに感謝申し上げる次第です。】とともに『今、こうして自分なりのレポートをまとめるにあたり、多くの団員の皆さんと一緒に貴重な体験をさせて頂いた。』と、あらためて感じており、これからの議員活動において「今回の経験」を元にして市政発展のために活かしたいとの想いです。
2015-11-24 22:09:11
公式訪問以外の調査活動について
今回の行政調査団の活動では、3市議会への公式訪問の他に、(財)自治体国際化協会ロンドン事務所とスカンセン野外博物館、そしてアムステルダムの有機農業センターへも調査活動に行っております。

(財)自治体国際化協会ロンドン事務所を訪ねて

平成26年10月9日(木)

財団法人 自治体国際化協会(Council of Local Authorities for International Relations)略称CLAIR(クレア)が、世界主要7都市に設置している海外事務所の一つであるロンドン事務所において、嶋 一哉 所長さんから「英国並びにスウェーデン・オランダの地方自治制度について、および今後の調査事項についてのレクチャーをお聞きした。

ロンドン事務所では、イギリスの他アイルランド、オランダ、ドイツ、オーストリア、デンマーク、スウェーデン、ノルウェー、フィンランドを所管し、主に日本の地方公共団体関係者の海外活動への支援や海外と日本の地方公共団体間の国際的交流の推進を図ると共に、所管各国の地方自治への取り組みに関する調査研究活動や我が国の地方自治制度などに関する情報の海外の地方自治関係者への提供などを行っておられるそうです。

嶋 所長さんからは、それぞれの国の一般事情(面積や人口、源義や宗教などについて)や政治体制、国の現状、そしてその国の地方自治の特徴などについてお聞きしたのですが、それぞれ千差万別でありまして『資料を見ていてもわかりづらい』と感じたのが私の本音です。

と、いう事は『日本の政治制度や法律を並べても(ある意味で、全く違うのだから)無意味であり、それぞれの国(市)で行われている政策自体に出来るだけストレートな質問をしないと、お互い意が通じないのであろう。』・・・と、感じた次第です。

また、この機会とばかりに「ヨーロッパ諸国における人口対策(特に少子化対策)」に関して質問をしてみたのですが、どうも所長の専門分野以外らしく・・・?それぞれの市での調査、という事になりました。

スカンセン野外博物館を訪ねて

  平成26年10月12日(日)

スカンセンは世界最初の野外博物館と言われており、スウェーデンの全国各地から移築された様々な時代の特徴ある代表的な家屋や農場を見学することが出来たり、飼育されているものから野生のものまで、スウェーデンに生きる動物たちに出会う事が出来るそうです。

私たちが訪れた時も、大鹿のいる柵の中にはリスがいて、地面に落ちた木の実を拾ったり、木に登ったりとあちこちに動き回る姿が、すぐそこで(本当に手の届きそうなところで)見る事が出来ました。

この日は、薄曇りで時折小雨がぱらつくような天候でしたが、小さな子どもたちを連れた家族連れの姿をあちこちで見かける事が出来ました。

スカンセンを訪れている家族連れは、次から次へと気ぜわしく施設を回っている様子はなく、この国の歴史や自然そして生活様式などについて親が子に「諭す様に」ゆったりと楽しんでいるかのようで、日本の動物園や博物館とはちょっと違った感じを受けました。

日本との生活感(様式)の違いと言ってしまえば、それまでなのですが?


有機農業センター「Centrum Biologische Landbouw」を訪ねて

平成26年10月15日(水)

アムステルダムの北東部にあるフレボラント州の州都であるレリースタットにある「有機農業センター(Centrum Biologische Landbouw)」は、バイオ生産・有機栽培農業のプロモーション(助長・推進)をし、生産者の支援、技術指導や情報提供を行って、有機栽培農家業の活性化を目指している団体です。

 我々一行を迎え入れてくれたのは農業科学者でボランティアの Albert Ester(アルバート エスタ)氏と、この地における35年有のパイオニア Jon Kmen(ヤン クマン)のお二人。

Ester(エスタ)氏がここの地勢やオランダにおける干拓の歴史から説明が始まり、オランダの農業事情、有機栽培や市場市場についての説明があった後、質問タイムとなりました。

私が特に関心があったのは、オランダではどうやって土地の確保(干拓の仕方)をしたのかという事でしたが、説明によると、オランダ語の国名「ネーデルラント」が「低地の国」を意味するとおり、国土の約25%が海抜0m以下で、最も高い場所でも海抜321m、最も低い場所は海面下6.7mだそうです。(13日のバス内での説明時にもこれと同じような事を聞きましたが)

フレボラント州は20世紀になってからサイデル海(アイセル湖)で、30kmにも及ぶ堤防を築き、海水を抜いて、ドイツから流れ込むライン川の川水を引き込み、塩分の希薄化と土砂の堆積を繰り返して行う「干拓事業」で生まれた新しい土地で、LELYSTAD(レリースタット)は海面下6フィート(約1.8m)のところを干拓して、1957年から街づくりが始まり1980年代から有機栽培農業が始まったとの事でした。

長い年月と多くの人々の労力、そして知恵と豊かな自然がつくり出した街なのだと感じた次第です。

但し、ここで行われている有機栽培農業は、最低限6年サイクル(10年でもOKとの事だったが)で土地利用を行い、収穫後は微生物やバクテリアの力で地力を回復すると云うもので、オランダに比べ狭隘な土地で農業を営んでいる日本の実情からはちょっとかけ離れている気がしております。

質問(他の皆さんの)でも、農業に対する国の補助制度の事や、経営体の状況、土地を肥沃にするための肥料などについて聞かれましたが、環境(農業に対する)の違いばかりが目立ち過ぎた?・・・と、感じた次第です。
2015-11-24 22:04:27
オランダ ハウテン市議会公式訪問

平成26年10月14日(火)


アムステルダムでの滞在先ホテルである「AMSTERDAM ZUID」(アムステルダム ズイド)を朝の8時45分に出発する予定でしたが、ちょっとしたトラブル(後ほど、別記滞在記ででも述べます)が発生し9時頃の出発となりました。

約1時間ほどを掛けて Houten(ハウテン)市に着きましたが、市役所前に車が入れず、あっちから、こっちからと車が回ってみますが、横付けになりません。ちょっと離れた駐車場脇にバスを止めて、徒歩で市役所へ向かいました。

駐車場から市役所までは約100mほどなのですが、住宅(集合住宅)脇や学校?か集会場(学生さんらしき若人が手を振って下さったので)の角を曲がったりして、小道(幅2〜3m)を歩いて市役所前にたどり着きましたが、市役所の正面は玄関前ホールがブロック敷きで歩道(歩道幅は約1.5m)とつながり、次に自転車道(片側1.5mで総幅約3m程かと感じました)、それから分離帯(緑地帯)スペースがあって、その次になぜか曲がりくねった車道(幅は4〜5m程でしょう)という風な街並みなのです。

ハウテン市の研修室(食堂にスクリーンを設置した)のスクリーンには「Welcome in Bicycle Town Houten」(ようこそ、自転車の街ハウテンにと言ったとこでしょう)と映し出されておりました。
ここハウテン市は「自転車を中心にした街づくり」で有名な都市なのです。

「時間まで、コーヒーでも飲んで待ってて下さい。」という事で、皆さんコーヒーを飲みながら適宜座席を確保しているところへ、Kees van Dalen(キース ファン ダーレン)副市長が入ってこられ、歓迎のご挨拶を頂きました。

Dalen(ダーレン)副市長の話では、ハウテンはオランダのほぼ中央に位置する人口5万人にも満たない小さな都市です。

昔から鉄道は通っていましたが、教会の周りに家が建ち、その集落の周りに果樹園が広がっているようなどこにでもある小さな街だったそうです。

第2次世界大戦後の1966年、国の施策として不足する住宅事情を満たすため、この地に6,000〜8,000軒の住宅を建設する計画が立ちあがり、「子どもが車にはねられた」事などをきっかけとして、車を街からはじき出し(と、通訳されました)環境や自然に関する意識づけと交通事故などを考慮した「自転車を中心にした街づくり」が始まったのだそうです。

1970年代の都市計画において繰り返し議論されたのは、幹線道路はあるけれども街の中までには入れず【車の事は後回し】、「効率より住民の安全・環境を中心とした『人と子ども優先の街』づくりを目指す」といった明確なビジョンを議会がもっていた事こそが、この「特色ある街づくり」が成功した大きな理由である。・・との事でした。

Dalen(ダーレン)副市長さんのご都合もあり、これ以降は都市計画担当者の Andre Botermans(アンドレ ボーターマン)さんが、都市の移り変わりの図面や写真などを示しての説明という事になりました。


ここで、再度この街の具体的な状況(本当は図面の方が解りやすいのですが、歴史的経過も含めて)について述べますと、この街(ハウテン)には昔から鉄道が通っており駅もあったのですが、元の街の中心(図には2か所ありましたが)は教会があったところで駅の周辺ではなかったのですが、新しいまちの中心に駅を置き、そこから枝を伸ばす様にして「自転車道」で地区どうしを結んでいったとの事です。

車に関しては、街の外側に大きな外周道路を設け、近くを通る国道と2本の道路でこの外周道路に結び付けましたが、地区から地区へ車で行くには、一旦外周道路に出てから目的の地区入口(基本的に外周道路から1カ所だけの進入路)から中に入るという事になります。

こうした都市計画は、当時国の施策に反していましたが、ハウテン独自のビジョンを大切にしたものであり、実際にこうした街並みが完成するまで25年の歳月がかかったとの事でして、環境(騒音や排気ガス)や健康づくり(高齢者の方や子どもたちの安全という事を含めた)に配慮した街づくりに共感して住むに人も増え、当初(1970年代)4、000人ほどだった人口が1990年代には約30,000人程に増加したのだそうです。

ハウテンでは自転車道路は路面が赤で表示され幅は3.5m(いざという時は自動車も通れるが、自転車優先で双方向通行)という事が昔からの共通事項で、6歳の子供から一人で学校までの自転車通学が可能だそうです。

こういた関係で、車(自家用車)は家の玄関前には止まらず、駐車場に車を止めて家まで歩いて行く事が通常で、我々が市役所前までバスで行けなかったのは「この街においては当然のことだったのだ」と、その時気付いた次第です。

最初の計画区域は北地区と呼ばれ、街の核となる駅を中心として半径2kmほど(自転車で約8分という事らしい)の距離内を基本とした都市計画でしたが、1995年から第2期の市街地拡張が行われ「ハウテン南地区」と呼ばれる街づくりが進行中であるとか?

もちろんここでも「自転車中心のまちづくり」なのですが、大きさは約約4km四方で、端から端まで15分という事が基本だとか?

やはり外周道路(カーブが多いそうで)を持ち、そこでの最高速度は70km / h。
街の外周は防音壁をやめて、外周道路との距離を多くとり地区内の環境を保つよう配慮がされているそうです。

こうした説明があった後、約10分ほどの「Bicycle Town Houten」のビデオを見て、藤井団長からの提案で「これまで質問されていない方優先」という事での質問タイムとなりました。

質問の中では、
 ・緊急時における(例えば、消防車や救急車など)車両の進入は?
 ・車社会といわれる現在、不便さを感じておられる市民はいないのか?
 ・街づくりに関連して、自転車産業はあるのか?
 ・自転車のまちとしての「健康づくり」に関する、具体的事例はあるか?
   等などでした。

余談になりますが、公式訪問が終わりバスに乗り、市役所を出て街の中(外周道路へ出るために)を走っておりましたら、交番がありまして、警官(自転車用の競技ウエアーのような制服にPOLICEと書いてありました)の方が、まさに白黒の自転車に乗って巡回から帰って来られた(のだと思いましたが)ところでした。

「自転車の街づくり社会」では、こうしたことも当然か!と感じた次第です。


【私の感想】
ハウンテン市ばかりでなく、訪問した全ての市に言えることかもしれないが、日本にはない「歴史のつながり」を強く感じられた。

その代表たる想いは、一つひとつの建物の古さだったり、そうした建物が並ぶ街並みだったりするのだが、今回はこの街を築きあげてきた1970年代からの都市計画がDalen(ダーレン)副市長さん曰く、その当時において『明確なビジョンを議会がもっていた事こそが、この「特色ある街づくり」が成功した大きな理由である。』の一言であった。

車社会(富山辺りは特に典型的な)と言われ、その中にどんぶりと浸かっている(浸からざるを得ない)私自身の現状からは、当時のハウテン市議会の皆さんの先見性と大いなる郷土愛を強く感じた一幕であった。

また、施策に共感して集まってこられた市民(今の)の皆さんの想い(感想)を聞く機会があれば良かったなぁ〜!・・と思った。

日本における高齢化社会において、利便性と健康づくりを毎日の生活の中でいかに築きあげていくか。
また、そうした想いの方たちを集約して(理想といえるような)、街(基礎的自治体の中でも、そういった地区)は創れないものか?・・・と、感じた次第です。
JDM
                                高橋ひさかず  〒939-0413  富山県射水市串田8043  TEL/FAX:0766-54-1735