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2015-11-24 22:04:27
オランダ ハウテン市議会公式訪問

平成26年10月14日(火)


アムステルダムでの滞在先ホテルである「AMSTERDAM ZUID」(アムステルダム ズイド)を朝の8時45分に出発する予定でしたが、ちょっとしたトラブル(後ほど、別記滞在記ででも述べます)が発生し9時頃の出発となりました。

約1時間ほどを掛けて Houten(ハウテン)市に着きましたが、市役所前に車が入れず、あっちから、こっちからと車が回ってみますが、横付けになりません。ちょっと離れた駐車場脇にバスを止めて、徒歩で市役所へ向かいました。

駐車場から市役所までは約100mほどなのですが、住宅(集合住宅)脇や学校?か集会場(学生さんらしき若人が手を振って下さったので)の角を曲がったりして、小道(幅2〜3m)を歩いて市役所前にたどり着きましたが、市役所の正面は玄関前ホールがブロック敷きで歩道(歩道幅は約1.5m)とつながり、次に自転車道(片側1.5mで総幅約3m程かと感じました)、それから分離帯(緑地帯)スペースがあって、その次になぜか曲がりくねった車道(幅は4〜5m程でしょう)という風な街並みなのです。

ハウテン市の研修室(食堂にスクリーンを設置した)のスクリーンには「Welcome in Bicycle Town Houten」(ようこそ、自転車の街ハウテンにと言ったとこでしょう)と映し出されておりました。
ここハウテン市は「自転車を中心にした街づくり」で有名な都市なのです。

「時間まで、コーヒーでも飲んで待ってて下さい。」という事で、皆さんコーヒーを飲みながら適宜座席を確保しているところへ、Kees van Dalen(キース ファン ダーレン)副市長が入ってこられ、歓迎のご挨拶を頂きました。

Dalen(ダーレン)副市長の話では、ハウテンはオランダのほぼ中央に位置する人口5万人にも満たない小さな都市です。

昔から鉄道は通っていましたが、教会の周りに家が建ち、その集落の周りに果樹園が広がっているようなどこにでもある小さな街だったそうです。

第2次世界大戦後の1966年、国の施策として不足する住宅事情を満たすため、この地に6,000〜8,000軒の住宅を建設する計画が立ちあがり、「子どもが車にはねられた」事などをきっかけとして、車を街からはじき出し(と、通訳されました)環境や自然に関する意識づけと交通事故などを考慮した「自転車を中心にした街づくり」が始まったのだそうです。

1970年代の都市計画において繰り返し議論されたのは、幹線道路はあるけれども街の中までには入れず【車の事は後回し】、「効率より住民の安全・環境を中心とした『人と子ども優先の街』づくりを目指す」といった明確なビジョンを議会がもっていた事こそが、この「特色ある街づくり」が成功した大きな理由である。・・との事でした。

Dalen(ダーレン)副市長さんのご都合もあり、これ以降は都市計画担当者の Andre Botermans(アンドレ ボーターマン)さんが、都市の移り変わりの図面や写真などを示しての説明という事になりました。


ここで、再度この街の具体的な状況(本当は図面の方が解りやすいのですが、歴史的経過も含めて)について述べますと、この街(ハウテン)には昔から鉄道が通っており駅もあったのですが、元の街の中心(図には2か所ありましたが)は教会があったところで駅の周辺ではなかったのですが、新しいまちの中心に駅を置き、そこから枝を伸ばす様にして「自転車道」で地区どうしを結んでいったとの事です。

車に関しては、街の外側に大きな外周道路を設け、近くを通る国道と2本の道路でこの外周道路に結び付けましたが、地区から地区へ車で行くには、一旦外周道路に出てから目的の地区入口(基本的に外周道路から1カ所だけの進入路)から中に入るという事になります。

こうした都市計画は、当時国の施策に反していましたが、ハウテン独自のビジョンを大切にしたものであり、実際にこうした街並みが完成するまで25年の歳月がかかったとの事でして、環境(騒音や排気ガス)や健康づくり(高齢者の方や子どもたちの安全という事を含めた)に配慮した街づくりに共感して住むに人も増え、当初(1970年代)4、000人ほどだった人口が1990年代には約30,000人程に増加したのだそうです。

ハウテンでは自転車道路は路面が赤で表示され幅は3.5m(いざという時は自動車も通れるが、自転車優先で双方向通行)という事が昔からの共通事項で、6歳の子供から一人で学校までの自転車通学が可能だそうです。

こういた関係で、車(自家用車)は家の玄関前には止まらず、駐車場に車を止めて家まで歩いて行く事が通常で、我々が市役所前までバスで行けなかったのは「この街においては当然のことだったのだ」と、その時気付いた次第です。

最初の計画区域は北地区と呼ばれ、街の核となる駅を中心として半径2kmほど(自転車で約8分という事らしい)の距離内を基本とした都市計画でしたが、1995年から第2期の市街地拡張が行われ「ハウテン南地区」と呼ばれる街づくりが進行中であるとか?

もちろんここでも「自転車中心のまちづくり」なのですが、大きさは約約4km四方で、端から端まで15分という事が基本だとか?

やはり外周道路(カーブが多いそうで)を持ち、そこでの最高速度は70km / h。
街の外周は防音壁をやめて、外周道路との距離を多くとり地区内の環境を保つよう配慮がされているそうです。

こうした説明があった後、約10分ほどの「Bicycle Town Houten」のビデオを見て、藤井団長からの提案で「これまで質問されていない方優先」という事での質問タイムとなりました。

質問の中では、
 ・緊急時における(例えば、消防車や救急車など)車両の進入は?
 ・車社会といわれる現在、不便さを感じておられる市民はいないのか?
 ・街づくりに関連して、自転車産業はあるのか?
 ・自転車のまちとしての「健康づくり」に関する、具体的事例はあるか?
   等などでした。

余談になりますが、公式訪問が終わりバスに乗り、市役所を出て街の中(外周道路へ出るために)を走っておりましたら、交番がありまして、警官(自転車用の競技ウエアーのような制服にPOLICEと書いてありました)の方が、まさに白黒の自転車に乗って巡回から帰って来られた(のだと思いましたが)ところでした。

「自転車の街づくり社会」では、こうしたことも当然か!と感じた次第です。


【私の感想】
ハウンテン市ばかりでなく、訪問した全ての市に言えることかもしれないが、日本にはない「歴史のつながり」を強く感じられた。

その代表たる想いは、一つひとつの建物の古さだったり、そうした建物が並ぶ街並みだったりするのだが、今回はこの街を築きあげてきた1970年代からの都市計画がDalen(ダーレン)副市長さん曰く、その当時において『明確なビジョンを議会がもっていた事こそが、この「特色ある街づくり」が成功した大きな理由である。』の一言であった。

車社会(富山辺りは特に典型的な)と言われ、その中にどんぶりと浸かっている(浸からざるを得ない)私自身の現状からは、当時のハウテン市議会の皆さんの先見性と大いなる郷土愛を強く感じた一幕であった。

また、施策に共感して集まってこられた市民(今の)の皆さんの想い(感想)を聞く機会があれば良かったなぁ〜!・・と思った。

日本における高齢化社会において、利便性と健康づくりを毎日の生活の中でいかに築きあげていくか。
また、そうした想いの方たちを集約して(理想といえるような)、街(基礎的自治体の中でも、そういった地区)は創れないものか?・・・と、感じた次第です。
JDM
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