
雪が積もった歩道は富山より歩きづらくて・・・!
平成25年1月15日(火)〜16日(水)
東京小杉会の新年賀詞交歓会に合せて1月15日(火)と16日(水)の両日にかけ、県選出の国会議員の先生方や関係者の皆さんへの新年のあいさつ回りに行ってきました。
両日とも時折晴れ間ものぞく天候ではありましたが、前日の積雪が残る車道ではチェーンを巻いた車が走っていたり、歩道の雪は多くの人で踏み固められたうえに寒い風にさらされた状況で凍りつき、高いビル間の日陰で滑りやすい状況のところが多く、雪国富山から来た私でさえ歩くのに一苦労をした状況でした。
富山県選出の国会議員の皆さんの事務所を回らせていただく場合は、衆参両議員会館をそれぞれ上の階から回りはじめ順次下の階へ回る場合が多いのですが、参議院議員の森田高先生の事務所では先生が不在と云う事で秘書官の方への挨拶になり、2階ほど下のフロアーであいさつ回りをしている途中の廊下で偶然にも森田先生にお会いできたのですが、先生からの開口一番「先程はわざわざご挨拶にお越しいただいたのに不在にしており申し訳ない。私、森田高は只今、国民新党を離党してまいりました。今後当面の間は無所属議員として活動をすることになると思いますが・・・。」とのご挨拶であり、新聞その他で近況は伝え聞いていたものの森田先生の政治家としての信念を直に肌身で感じた出来事でもありました。
また、射水市(旧大門町)出身で、現在(財)自治総合センター理事長である二橋正弘さんにも大変お久しぶりにお会いすることができました。
二橋さんは2003年9月からの第1次小泉内閣、第2次改造内閣以降の小泉内閣において内閣官房副長官(事務担当)を務められ、安部内閣の発足に伴い退任されましたが、2007年9月の福田内閣で再度内閣官房副長官(事務担当)になられたことがあります。当時この職は経験者の再起用は異例のこととして報道されていた記憶がありますが、それだけ多くの方からの人望が厚かったのだと思います。
私自身、何度か二橋さんとお会いできる機会がありましたが、今でも記憶に残っているのは射水市が誕生し私自身初代の副議長としてお伺いをした2006年(平成18年)の新年のあいさつ回りの際、第3次小泉改造内閣で長勢甚遠先生と二橋さんがともに内閣官房副長官を務められており、首相官邸にある事務執務室をお尋ねした際に「こうして首相官邸に同県(富山県)出身者が内閣官房副長官として並ぶことは珍しい事ですよ。・・・ところで副議長さんは大門のどこの方ですか?田所(前町長)さんはお元気ですか?」等など、大変気さくにお話をさせていただいたことが今でも記憶に残っております。
今回もそうした話(私の記憶話し)もさせていただきながら、夏野市長共々射水市の近況報告とお願いをさせていただきました。
現在も自治総合センター理事長としてお元気でご活躍なことですので、射水市としても大変心強い限りであるとあらためて感じております。